世界の人々を魅了し続ける北欧家具と職人たちの物語
こんにちは。ビスタの橋本です。
今回は私たちが日常で触れていながら、その歴史について知る機会の少ない北欧家具を紐解いていきます。
今日の北欧家具の人気は一部のコレクターに留まらず、老若男女に幅広く支持されており、インテリア雑誌を開いて北欧デザイン家具を見ないことはありません。
そんな北欧家具について、皆様はどういったイメージをお持ちでしょうか?
・ユニークで大胆な形状
・印象的な色使い
・人体工学に基づいた設計
そんなところでしょうか。
では、そもそも何が北欧デザイン家具として定義づけられるのか?
この記事を読んでいただければ、北欧家具が誕生するまでの歴史がわかります。
リノベーションとも非常に相性の良い北欧デザインを知って、インテリア選びにお役立てください。
北欧と呼ばれる国々について
本題に入る前に北欧と呼ばれる国々をおさらいしましょう。
一般的に北欧という場合、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンのスカンジナビア3ヶ国とフィンランド、またはこれにアイスランドを含めた5ヶ国を指すことがほとんどです。
人口は3000万人足らずと、主要5カ国を合わせても日本の4分の1ほどの人口です。
北欧というと極寒の地というイメージがありますが、実際にはノルウェー沖を流れるメキシコ暖流のため、他の同緯度の国と比べると寒さはおだやかです。
それでも高緯度に位置しているため、季節によって太陽光の届き具合がかなり違います。
スウェーデンの冬は日の出が朝9時頃で、日中も完全に日が真上に昇ることはなく、ずっと夕方のような日差しが続きます。
治安はヨーロッパ諸国と比べるとかなり良い方で、衛生面も問題なく旅行先としても人気です。
国民性はおだやかですが、少し人見知りなところがあり、私たち日本人の性質とも似通っています。
日照時間が短く、家で過ごす時間が長い北欧の人々にとって、機能的な家具や飽きのこないインテリアは、楽しく室内の時間を過ごすために欠かせないものでした。
今や世界的に普及した北欧デザインは、こうした北欧民たちの生活環境から生み出されました。
フィンランドのテキスタイルに代表される、アースカラーを用いた独創的なそのデザインが、厳しくも雄大な自然がアイデアの源泉となっていることは、もはや言うまでもないかもしれません。
8世紀末ごろからヴァイキングによって他国との交易が始まる
北欧家具の歴史は8世紀末から11世紀半ばにまで遡ります。
その時代のスカンジナビアにはヴァイキングの存在がありました。
略奪を繰り返す海の荒くれ者のイメージの強いヴァイキングですが、実際には入植や交易といった商業活動を目的としており、故郷に帰れば農民や漁民であったことが現在ではわかっています。
他国から宝飾品を中心に様々なものを自国に持ち帰ったヴァイキングでしたが、その中には家具などの調度品も含まれていたことでしょう。
元々優れた造船技術と木工技術を持つヴァイキングが、入植地で学んだ家具の製造方法を自国に持ち帰り、広めていったことは想像に難くありません。
時代は進み、14世紀にイタリアで始まったルネサンスがヨーロッパを北上し、17世紀に入ると北欧でも建築を中心にルネサンス様式が流行しました。
その後、デンマークの王族や貴族の間で流行した家具のスタイルはフランス・イギリスから持ち込まれたバロック様式、ロココ様式、ジョージアン様式へと変遷します。
腕の良い家具職人は、これらのスタイルを真似て家具を製作し、王族や貴族に納めていました。
この時代にはまだ北欧オリジナルのデザイン家具というものはなく、家具デザイナーという職業もありませんでした。
一方で、デンマークのコペンハーゲンに家具職人組合が16世紀中頃から存在していたことからわかるように、家具づくり自体は国内で盛んに行われていました。
20世紀初頭から勃興したモダニズム運動
20世紀に入り、ドイツの総合芸術学校バウハウスを中心としたモダニズム運動がヨーロッパを席巻していました。
校長であるミース・ファン・デル・ローエは
「より少ないことはより豊かなこと(Less is More)」
という標語を用い、バウハウスは工業的な大量生産を前提とした合理主義・機能主義を掲げ、無駄な装飾を排除し、金属の鋼管を曲げてフレームにするなど、それまで家具の生産には使われてこなかった素材や技術を応用して新たな価値観を提唱しました。
※余談ですが、「神は細部に宿る」という言葉を世間に広く知らしめたのもこの方です。
これは伝統的なハンドメイドの家具づくりに対する新たな挑戦であったともいえます。
このモダニズム運動は当然隣国のデンマークにも波及しました。
そしてデンマークではそれらが独自の進化を遂げていきます。
北欧家具の黎明期ーコーア・クリント
コーア・クリントは「デンマーク家具デザインの父」と呼ばれ、後の黄金時代の礎を築いた人物です。いわばこの人こそ、北欧家具の生みの親!
彼はモダニズム運動の中にあって、過去の伝統と決別するのではなく、むしろそれと真摯に向き合い、調査・分析・研究を行うことでデザインし直す「リ・デザイン」という方法論を確立しました。
「古典は我々よりもモダンである」
という彼の言葉は、先人の残したものに対する尊敬の念の表れといえるでしょう。
クリントは人体と家具の相関関係、および収納家具のモジュールなどについても研究しています。
1:1.414の白銀比から導き出された数字をインチ規格で人体各部の寸法に割り付け、家具デザインに応用していきました。
また一般的な家庭にあるシャツやコート、下着や靴下などのリネン類から食器やその所有数にいたるまでを徹底的に調査し、それら生活用品が効率的に収納できるよう、家具の引き出し寸法や配置を決めています。
これらの執念とも呼べるクリントの家具へのクラフトマンシップは、自身が教鞭を執る王立芸術アカデミーの生徒を中心に、デニッシュモダンの本流として後の世代へと引き継がれていきました。
家具デザインの流行最先端はアメリカへ
第二次世界大戦後、工業デザインの中心はベルリンのバウハウスからアメリカへと移りました。
自国内を戦地としなかった戦勝国のアメリカは、産業の復帰が他国よりも早く、さらに軍事産業から生まれたFRP(ガラス繊維強化樹脂)やプライウッド(成型積層合板)を用いて、バウハウスの流れを汲みながら生産量を一気に増やせる、シンプルな形状で、デザイン性の高い家具を生み出しました。
後にミッドセンチュリーとひとまとめに呼ばれるほど定着したこのデザインは、戦地から帰還して家を持つ兵士たちを筆頭に、アメリカ国内で爆発的に普及しました。
チャールズ&レイ・イームズ夫妻やジョージ・ネルソンを代表とするアメリカンミッドセンチュリーのデザイナーたちは、家具だけにとどまらず、建築、映画制作、写真、グラフィックなど、モダンデザインのパイオニアとして一時代を築きました。
北欧家具の中心であるデンマーク人デザイナーたちは、この大きな潮流の中で、独自の文化や価値観を基盤としたスカンジナビアンデザインを発信し続け、戦争によって疲弊した自国の産業振興策の強力な後押しもありながら徐々に注目を集めることとなります。
今回はここまで。
次回はデンマーク家具の名作を中心に、北欧デザインがどのように世界中に広まっていったのかを解説していきます。